会津新撰組の旅

駅に降りた途端に和風な雰囲気。

会津戦争の際は一か月に渡り籠城戦が続いた若松城。 作中ヒロインは、城主松平容保の義姉の照姫の右筆としてこちらのお城にお仕えしています。 現在、中は博物館になっています。

鳥羽伏見の戦いの後帰国した松平容保がこちらで蟄居されたそうです。 会津戦争の際には西軍傷病者の診療所だった為戦火を免れましたが、建物には当時の刀痕が残っています。

新撰組局長、近藤勇のお墓があります。 隣には土方歳三の碑も。 バス通りから山を登り、お寺に入った後もさらに登り…会津の町を見渡せる場所に建っています。

飯森山ふもとの白虎隊記念館。貴重な展示物の中には新撰組関連の物もあり、近藤勇のものという鉢金も。

白虎隊の碑が建つ飯盛山から見た風景。すごく拡大すると若松城が見えるのが分かりますでしょうか。斎藤一の最初の奥さまは、白虎隊隊士、篠田篠田儀三郎の遠縁なのです。

清水屋旅館跡。宇都宮で負傷した土方歳三が療養したお宿。新島八重や吉田松陰も宿泊したそうです。バス通沿いでとても分かりやすい場所です。

清水屋旅館跡から歩けます。二階には銃や鉢金等貴重な展示物。芹沢鴨のものという鎖帷子は圧巻!

斎藤一のお墓があります。 御三階はかつては鶴ヶ城本丸内にあった建物で、当時の鶴ヶ城の遺構として現存する唯一の建物です。 七日町駅からすぐ近く。新撰組記念館からも歩けます。

北翔伝第一巻のクライマックスシーンの舞台。 新撰組が会津から撤退することが決まった際斎藤一は「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」と同意した13人程の隊士と共に会津に留まり、終戦まで戦い続けます。

新撰組のわずか14名ほどの隊士は、新政府軍に囲まれ全員討ち死にしたとされていますが、実際は斎藤一をはじめ数名が脱出しました。

実際に斎藤一らが宿陣していたのはもう少し神指城の近くだったとのことです。 神指城跡もこの場所から歩い て数分のところにあります。